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住職日記

2017年11月22日
二十四節気のひとつ
小雪(しょうせつ)
11月22日から12月6日頃を指し
雨から雪に変わる頃であり
北国では
雪がちらほら降る頃
今年は
例年より
雪のたよりが
早いかも・・・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 19:45 │住職日記
2017年10月26日
『清風萬里秋』
(せいふうばんりのあき)





富士山では
先月23日に
初冠雪が観測。
平年より23日遅く
観測開始以来
最も遅かった去年と
比べて3日早かったとか
最近、朝晩が寒い程ですが
今日は、久しぶりに
よい天気となり
すがすがしいものです

この禅語は
秋がいたるところに訪れて、
すがすがしい風が
吹きわたっているようす。
それはあたかも、
悟りを開いた瞬間。
澄み切った秋空のように
目の前が開けることの意味








  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:36 │住職日記
2017年09月28日
風光日々新(ふうこうひびあらた)

本日、北海道 
大雪山では
初冠雪だとか・・・
台風の被害もあれば
初雪の処もあり
「風光日々新」とは
大自然の風景は、
日々に新たな変化が
あるという意味

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 17:54 │住職日記
2017年09月01日
.今日より9月(長月)
秋の虫も泣き
朝晩、少しずつ
すごしやすくなったような・・・

この句は
澄み切った空に
皎々こうこうと
一輪の月が白く輝き
どこからともなく
一陣の清風が吹き渡って
木々の葉を鳴らします
くさむらからは虫の鳴き声
秋だなあと感じる
この清涼極まりない風景を
「月白く風清し」と
簡単明瞭に頌したわけです
しかし、ただ単に自然の美しさを
表現しただけではなく
この句の中に人としての
生き方を見なければなりません
私たちは何かというと、
世のさまざまな欲にとらわれ、
自分自身にもとらわれてしまいます
これらの執着を一切断ち切って
その清々しさを
「月白く風清し・・」と頌したのです。
月の光がそのまま
静かな池に
そのまま映しだすかのように・・
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:54 │住職日記
2017年08月16日
精霊送り 
八月十五日厳修












たくさんの方に
見守れてお帰りになりました







ただいま修行中⁉








無事にお帰りになりますように








  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:25 │住職日記
2017年06月09日
雨収山岳青  
あめおさまりてさんがくあおし






季節は梅雨に入り
降りしきる雨
あるはずの景色や
物も観えないが
一旦雨があがると
前方に夏の山が
いつもの通り
青くくっきりと現れてくる
蒼々たる緑樹は
輝かんばかりである。
雨や曇、水や雨だれ
雪や雷などなどの自然現象も、
山や海、川や滝などの自然は
煩悩に例えられたり
逆に仏性に例えられたりする。
森羅万象は
それを受け取る側の心次第。



  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 21:58 │住職日記
2017年06月05日
今日は
二十四節気である芒種
芒種とは
6月6日頃(2017年は6月5日)
および夏至までの期間。
太陽黄径75度。
小満から数えて15日目頃。
芒(のぎ)のある穀物や
稲や麦など穂の出る
穀物の種をまく季節
ということから、
芒種と言われています
(実際の種まきは、
これよりも早い時季に行います)。
梅の実が青から黄色に変わり
百舌が鳴き始めます。
かまきりや蛍が
現れ始める頃でもあります。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 22:17 │住職日記
2017年04月14日

【 弄花香満衣 】

(花を弄すれば香衣に満つ)
「はなをろうずれば かおりころもにみつ」






待ち望んでいた春になり
今、春真っ盛り
境内地には梅の花がさき
今、桜の花が満開です
この句は
花を摘んでいると、
自分の衣もその香りに包まれ
こころまで花と一体となって、
清々しい境涯に至る。
明るい春の陽ざしの中で
香しい甘い香りを
心から愛おしむような句ですね・・・






寒さにじっと耐えていた
冬がやっと終わり雪が解け
小川のせせらぎが聞こえる中で
摘む花の初々しさと香しさ
それを想像するほんわかした
思いに誘いますね・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:52 │住職日記
2016年12月31日






初春を迎え
皆々様のご多幸を
お祈り申しあげます
只今、お年頭に出かけております
              
               住職謹白
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:28 │住職日記
2016年12月08日
紅爐一点雪 (こうろいってんのゆき)


12月7日は
24節気のひとつ
「大雪」
そこで、この禅語を紹介!

紅爐一点雪 
 〔こうろいってんのゆき〕

煩悩妄念を断滅した
坐禅三昧の正念のある処
ここにはどんな
邪念も寄せつけない
迷妄、邪悪は
恰も紅蓮の炎をあげて
赤々と燃え盛る炉の上に
一片の雪花が舞い落ち
一瞬のうちに溶けて
跡形もなく消えて
しまうかのようだ

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:50 │住職日記
2016年11月08日
清風萬里秋 (せいふうばんりのあき)


世の無常を感じつつ、
今年も落ち葉を
掃く毎日
無心に散った一葉に、
自分を燃やし
盡くしたものの
姿の美しさを感じる毎日
心の自由を取り戻した
身心脱落の人にこそ
一葉のそよぎに真の
清凉の世界を体感する
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:16 │住職日記
2016年09月15日
「仏道をならふというふは、自己をならふなり」

この言葉は、
道元禅師の言葉の中で
最もよく知られている言葉の一つです。
「仏道をならう」ことは
「自己を究明する」こと。
ここでいう「自己」は本来の自分自身です。
そのためには、「自己を忘れれ」ばいい。
ここの「自己」は、自意識的自我です。
「自己を忘れる」ためには
「万法に証せられれ」ばいい。
「万法に証せられる」ためには
「自己の身心及び他己の身心を脱落させればいい」
ということになります。
と、言っても少し難しい言葉かも知れませんね・・・




さて、19日より彼岸のいりです
例えば
最愛の妻,親友といった
大切な人の気持ちになり
相手が自分の気持ちになる
それが彼岸ということではないだろうか・・・
 「何事でも、かたくなに
 自分の立場に固執することなく、
 ぐるりと廻って反対側の立場に立ってみる」
こちら側から見て腹の立つ事柄でも
ぐるりと廻って相手の立場に立ってみれば
なるほどそうだったのかと
笑って受けとれることも沢山ある
対人関係の感情問題など
全てそうだといっても
過言ではない。
仏教ではこの世の中を
娑婆(思いどおりにならないところ)
というように
悲しみや苦しさが人生の
実相(すがた)といっていいが
それとても同じことで
自分の側からばかりみて
それに間違いないと思い込んでしまうから
やりきれない絶望に陥るわけで
それをひっくり返して考えれば
そのやりきれなさがそっくりそのまま
あかるい楽しさに変ずることもある。

さて、みなさんは
彼岸に何を修行されますか・・?

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:09 │住職日記
2016年08月26日





大切なご先祖さま
あの世に
迷わず、お帰り下さいませ









毎年
精霊送りの時
少し寂しくなるような・・・・
気が致します
それは
私だけかな・・・?

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:34 │住職日記
2016年08月26日
山門大施食会
8月4日に修行いたしました





今日は
お小僧さんも
お手伝いです







  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:25 │住職日記
2016年07月23日
境内地にあります
極楽園 (蓮池)には
役員様の懸命なる
管理の中で
今年も,
蓮が咲きました






蓮の花言葉は
「清らかな心」と「休養」であり
「清らかな心」とは泥水を吸い上げながらも
美しい花を咲かせることに由来します。
「休養」とは、午前中に咲いた花が
午後には閉じてしまう様子を表したものです。






ヒンドゥー教の神話や聖典には
泥の中から茎を伸ばして
花を咲かせる蓮の様子が
清らかに生きることの象徴として
たびたび登場します。このイメージは
仏教にも継承されていきます。
仏教では
智清や慈悲の象徴とされ
死後の極楽浄土に
咲く花として親しまれました
そのため、如来像の台座や
仏像を安置する厨子という
仏具の扉に花が彫られています。
このような宗教的背景から
インド、スリランカ、ベトナムでは
国花とされ、今でも多くの人に愛されています。

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:55 │住職日記
2016年07月16日
7月15日 午後8時より
精霊送り(送り火)
行いました







来月は
8月15日 午後8時より




  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:22 │住職日記
2016年07月05日
7月1日~3日
夜施食会・子供坐禅会でした







たくさんの子供も
一生懸命、坐禅をおこないました。












  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 11:31 │住職日記
2016年06月08日
「日は昼を照らし 月は夜を照らす」







私達は、太陽の恵みから
派生する諸々の自然の
恵みを得ている
月も闇夜から解放して
人々に安らぎを
与え続けている
当たり前のことを
あたり前だと
安易に受け流すことなく
当たり前こそ
実はとんでもなく
ありがたいことだと
感謝しなければいけない
当たり前のことを
あたり前だとは安易に
受け流すことなく
当たり前こそ実はとんでもなく
ありがたいことだと思える
そんな思いが出来
感謝できるときこそ







「日は昼を照らし、月は夜を照らす」の
精神が真にわかるのかもしれない。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 13:56 │住職日記
2016年05月02日
今まさに、境内地には
つつじが咲き誇っています。




あるとき
園児が一人、
枯れかかった花を持って
「花さん、どうもありがとう」と言って
ポイと捨てました
その行為に、
その子を呼びとめて尋ねてみました
「いつもそうしてるの?」
するとその子は、
「そうよ、お母さんはいつも、
そうしてるのよ
だって花はきれいに咲いて
みんなを嬉しくさせてくれたんだもの
だからお礼を言って捨てるの」
こう言ったのです




生きとし生きるもの
全てに感謝する事を
忘れてはいけないものですね・・・


  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:39 │住職日記
2016年04月26日
今年の『弘法さま』のお命日は
4月27日 (3月21日) 旧暦






この日は、子供はお参りに行くと
お菓子がいただける
なんで?
このいわれは
弘法大師空海は海を越え、
唐へと渡り、順宗帝に招かれました。
その時、
亀甲形をした、“あるお菓子”
が出されたそうです
見たことも無く食したことも無い
その菓子は
パリパリと触感も良く
とても美味しかったようです
空海は、
丁寧逐一そのお菓子の
製法を教えてもらい
ふるさとへ帰国後
山城国に住む
“小倉の里の和三郎”という人物に伝え
未知の菓子の製法を伝授された和三郎は、
葛根(カッコン)と米粉に、
果実の糖液を混ぜて焼き
苦心の末、完成
苦労の甲斐あって、
この菓子は上流階級・朝廷貴族の間で広まり
ただ、その頃は庶民にはとても
手が届かない高級菓子でした
しかし、これは日本の
「煎餅」のルーツとされています。
弘法大師(空海)の
生きていた時代は飢饉が多く
そこで弘法大師が
『自分一人ではなく
貧しい人にも分け与えよう。』と
説いて回ったことが由来
とされている、ようです。
ただお菓子をいただける1日!
そうではなく・・・
“お互いさま”の精神でしょうね
それを子供が覚える
一つのきっかけになるとより良いですね
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:55 │住職日記