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住職日記

2016年04月08日





今から三千年ほど前の四月八日、
お釈迦(しゃか)さまは
カピラ国の浄飯王(じょうぼんのう)と
摩耶夫人(まやふじん)との間に
ゴータマ・シッダルタ王子として
お生まれになりました。
そして「釈迦族」という族姓から
後に「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」
と呼ばれるようになるのです。
 お釈迦さまは、
色とりどりの花が咲きほこる
「ルンビニーの園」で
お生まれになってすぐに
七歩東へ歩まれると
右手を上に、左手を下に向けて
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃいました。
このお言葉は
「天の上にも天の下にも、私ひとりこそが尊い」という意味であると同時に
人間は生まれや育ちにかかわらず
みな平等に尊い存在だということも意味します。
逆にいうと、その人の幸せや不幸は決して
環境などから与えられるものではなく
すべて個々の心が作り出すものだという
ことも示されているのです。
またお釈迦さまがお生まれになった時
天からは甘露(かんろ)の雨と
たくさんの花が降りそそいだと伝えられています。
この時のお姿を形どった
像の上から甘茶(あまちゃ)をそそぐのも
この行事が「花まつり」と呼ばれるように
なったのもそうした由来があるからです。

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:40 │住職日記
2016年03月02日




花閑鳥自啼 
「はな静かに鳥おのずから啼く」
 
満開の花は
ひっそりとしている
鳥の鳴き声も却って
その静けさを
際だたせるようだ 
華やぎの中の静寂
そして調和が取れた
世界の意味






当山十七世であられた
恵定大和尚の
植えられた梅
幼少の頃は
境内地いっぱいに
柿と梅とあったものも
今となっては
僅かとなりましたが
例年、美しく花を咲かせ
春を知らせてくれます
その梅の枝に、鳥の姿をみると
幸せを感じる
しかし、世の中は
本当に、静寂であり
人々は幸せなのか?
改めて感じる・・



  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:58 │住職日記
2016年02月06日
二十四節気である
立春を迎えたとはいえ
まだまだ、寒さが続く中
暖かな春の到来を待ちわびる毎日






この時期、境内には
厳しい寒さにも関わらず
桜や梅など様々な
草木のつぼみが目にとまります。
美しい花を咲かせるため、
耐え忍ぶその姿に心強くされます
梅は、どの花よりいち早く
花を咲かせようとします。
梅は桜のような華やかさはありませんが、
心、引き締まる思いにさせてくれます
曹洞宗ご開山であられる、道元禅師は
「梅の開くのにつられて春も早くやってくる。
春の功徳は全て梅のなかに詰まっている」と記されています。
春が来て梅が咲いたのではなく
梅が咲くから春が来ると云っているのです。
花のつぼみは、目一杯の命を充満させ
開花し春をもたらします。
人も、花のように功徳を咲かせたいですね・・・
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 13:16 │住職日記
2016年01月20日
今日は、二十日正月

正月の終りとする節日で
この日を持って神祭りの月の終了
正月の祝い納めとして
仕事を休む
物忌みの日とされており
小正月に飾った餅花等を
取り外す日ともなっています。
この日は、正月になってから
毎日食べていた正月用の
年肴(さかな)が食ペつくされて
骨だけになってしまうため
「骨正月」とも言われています。





とはいえ
今日は、日本列島
大雪となり大変な日と
なりましたね

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:48 │住職日記
2015年12月07日
成道会(じょうどうえ) 


12月8日は、お釈迦さまがお悟りを開かれた事を
お祝いする「成道会」の日です。





お釈迦さまはシャカ族の王子として生まれ育つ中で、
何不自由のない恵まれた生活を送っていました。
しかしある時「人は生まれてきた以上、
必ず年老いてゆくし,また病気にもかかる。
そして何より死というものは誰にでも必ず訪れる」という
自然の摂理に気づかれます。
この逃れようのない苦の現実をいかに受け止め
解決することが出来るのか。
お釈迦さまはその答えを求めて29歳の時に
王子の地位も、約束された将来も、恵まれた財産も
そして家族すらもすてて出家の道へと入られたのでした。
その後2人の修行者のもとで禅定を学び
また6年にもわたる苦行を続けられるのですが
この生活ではどうしても
本当の意味でのこころの安らぎを
得ることが出来ませんでした。

お釈迦さまは心と体の関係を「琴」にたとえて考えました。
「琴の弦は、緩んでいては良い音色を奏でることは出来ない。
これは欲望に自らをまかせた生活である。
ここに本当の安らぎはない。
しかし、弦は張り過ぎると切れてしまう。
それは自らの命を失うような苦行の生活だ。
ここにも、本当の安らぎは存在しない。」
欲望に任せた自堕落な生活でも
命を失いかねない苦行でもない
「ちょうどいい張り具合」にこそ
本当の安らぎがあるのだと感じたお釈迦さまは
苦行を離れ、身体を癒し
菩提樹の木のもとで坐禅に入りました。
そして一週間の後、ついにお悟りを開かれたのでした。

曹洞宗ではこのお釈迦さまのお悟りを讃え
また実践するために
12月1日から8日までの期間「摂心会」という
集中的な坐禅修行が各地の修行道場などで行われます。


  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:02 │住職日記
2015年11月13日
今日のある新聞に
豊田市小原地区の
四季桜が紹介されています。
桜は春?紅葉は、秋
というのが本来だが
誠に素晴らしい風景ですね

禅語に、
「清風萬里秋」(せいふうばんりのあき)
とあります
秋がいたるところに訪れて、
すがすがしい風が
吹き渡っている情景。
それはあたかも
悟りを開いた瞬間。
澄み切った秋空のように
目の前が開けることを
意味しています。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:58 │住職日記
2015年08月17日





7月15日 午後8時より
8月15日 午後8時より
盂蘭盆会、送り火を行いました。









鼓鈸を鳴らし
ご先祖様をお送りいたします。









参拝者の灯したローソクを
お清めいたしました









無事に、ご先祖様が
あの世にかえれますように・・・
ごゆっくりとお帰り下さいませ。




  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 17:08 │住職日記
2015年07月08日
7月1日~3日(3日間)
年中行事である
・夜施食会、子供坐禅会を
修行いたしました。





たくさんの方がお参り下さいました。
子供さんも一生懸命に
お参りしていました





続いて、子供坐禅会








現代の子供には
坐禅をして心を統一し
心、静かになる事は
大切な事かも・・・?

来年も、予定通り
同日にて行います。
たくさん方、参加して
修行してくださいね。

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 10:49 │住職日記
2015年06月01日
禅語に「一華開五葉」とあります。

一輪の花が
五枚の花弁を開き
やがて実を結ぶ
自然のありのままの姿。
何の気負いのない
美しくも、自然体で
力強い繁栄の象徴です。
この五つの花びらが開いてこそ
次の世代にすべてが継承され
実がなります。
五つの心のことです。

①純粋で清らかな相手の心をありのまま
 受け取れる円満な智慧。
②差別の意識を捨て、平等に拝める智慧。
③差別はなく、平等な中での区別がこまやかに
 確かに観察できる智慧。
④他の人々のために行動できる智慧。
⑤この世界は皆、仏の心の現れだと
 受け取れる素直な智慧。









ひと月程前7寸程だった、ササユリ
3日程前に開花しました。
花言葉のごとく
遠くまで清浄で上品な香がします。
葉は、笹のように細く
小さな花なのに・・・・
人も、ササユリの花のように
純粋で美しく開花したいものです。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 08:54 │住職日記
2015年05月26日
こんにちは

5月16日より
本堂前、改修工事に
入りました








少しの間
ご迷惑をおかけしますが
宜しくお願い致します。













  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:20 │住職日記
2015年05月06日
今日5月6日は立夏です。







立夏は
二十四節気の一つ
この日から小満までの期間。
この日から立秋の前日
までが『夏』となる。






春分と夏至の中間にあたる。
蛙が鳴き始めるころ。
確かに寺の回りでは
喧しく蛙が鳴くようになりました



境内地には
梅が実り
蓮池の蓮の花が
芽をだしはじめました。


  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:36 │住職日記
2015年04月17日
鎮守様大祭






当山には、「白龍池」があり
絶えることなく水が湧き出て
池を潤しています。
過去には、水飢餓と云われる年ですら
人々の水の難儀を救ってきました。







「白龍池」の御神体には
白龍弁財天をお祀りし
現在では寺の山門繁栄
人々の・無病息災・家内安全
・交通安全並びに学術芸術の神
福徳円満にして美人の神として
信仰されています。
当山の年中行事でも
鎮守様大祭として行っています。















  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:14 │住職日記
2015年03月14日
「点梅花蘂 三千世界香」
(いってんばいかのずい さんぜんせかいかんばし)





梅の花のちっぽけな蘂(雄蕊・雌蕊のしべ)
からも精一杯香りを出しています。
それが数多く寄せ集まって
高貴な香りとなり漂っています。
人間社会もそうであり
己一人だけ後ろ向きに
なっているようでは
この世の中は成り立っていきません
一人の力は小さいが
それを寄せ集まることにより
大きな力になります
東日本大震災により
ボランティアの方々が
如実に示して下さいました
まさに「絆」です

「暗いと不平を言うよりも
進んで明かりをつけましょう」(心の灯火)

社会も教育も
批判や非難は簡単です
しかし、それだけでは
何物も生み出しません
そんなことより前進する
糧が大切なのです
それが信頼であり、絆であり
同心同行なのであります。
まだまだ余寒が続きそうですが
無理をせずに少しづつ前進いたしましょう

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:28 │住職日記
2015年01月15日
謹んで新年のご祝詞を申し上げます

本年も、1月7日に年中行事である
大般若法会を修行致しました





さて、未年の羊は
「祥」に通じ
中国の吉祥動物の一つです。
群れをなすところから
「家族の安泰」を表すとされ、
いつまでも「平和」
に暮らすことを意味しています。
「未」の干支の特徴としては
「穏やかで人情に厚い」とされます。
また、財テクの才能があると言われ、
財を成すのに向いている人も多いようです。

では、皆様の万福多幸を
ご祈念致します
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:04 │住職日記
2014年12月19日
紅爐一点雪 (こうろいってんのゆき)





煩悩妄念を断滅した
坐禅三昧の正念のある処
ここにはどんな邪念も寄せつけない。
迷妄、邪悪は、恰も紅蓮の炎をあげて
赤々と燃え盛る炉の上に
一片の雪花が舞い落ち
一瞬のうちに溶けて跡形もなく
消えてしまうかのようだ




  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:40 │住職日記
2014年12月02日
11月25日~26日
役員様と
大本山永平寺において
先祖供養をさせて
いただきました








あいにくの雨でしたが
一日、精進させて
いただきました







年の暮れに
心、引き締まるのは
いいものですね









  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:18 │住職日記
2014年10月06日
十三夜の月(十三夜月、栗名月)とは?

中秋の名月は
皆さんもご存知でしょうが
実は中秋の名月の翌月には
もうひとつの名月があります。




これは十三夜の月や
十三夜月と呼ばれています。
また、後の月と呼ばれることもあります。
中秋の名月は旧暦8月15日に
見える月のことですが
十三夜の月は旧暦9月13日
に見える月のことです。
現在の暦でいうと
10月頃になりますが
ちょうどこの頃は栗が実る
時期であることから
栗名月と呼ばれることがあります。
中秋の名月と十三夜の月
というふたつの名月がありますが
片一方だけしか見ないのは
「片見月」といって
良くないこととされているそうです。
中秋の名月は十五夜の月で
満月頃となりますが
栗名月は十三夜の月ですから
月齢12で満月よりも少し手前。
満月よりも少しだけ欠けた
月を見るというのも
また趣きがあっていいのかもしれません。
といっても、気をつけて見ると
満月よりもちょぴり
欠けているのが確認できる程度
それほど大きな違いはわからないでしょう。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:22 │住職日記
2014年10月04日
10月5日は
達磨大師のお命日
「七転び八起き」のことわざや
「ダルマさん」の愛称で
知られている達磨大師は
初めてインドから中国に
禅の教えを伝えられた方で
禅宗の初祖と言われています。
「震旦(中国のこと)初祖」または
「円覚大師」ともお呼びし
瑞雲寺の本堂にも向かって
西側にまつられています。




赤い縁起達磨(ダルマさん)は
達磨大師が寒さよけに頭から「被」と
呼ばれた掛け布団をかぶって坐禅している姿が
もとになっているとされます。
達磨大師は、中国北魏・梁代頃に
インドから来た渡来僧と伝えられ
お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま
中国禅宗の初祖とされるお方で
円覚大師菩提達磨大和尚と称します。
「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも
表現されますが
伝記に関しては諸説ございます。
禅宗の伝統的な見解では
梁の普通8年(527年)に南海より
広州(広東省)に上陸し
梁の都、建康(南京)に来て
武帝(蕭衍)と問答を交わし
帝との機縁がかなわず北に渡り
崇山少林寺に入って
面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)
されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。
なお、梁の武帝と達磨大師との間で
交わされたとされる問答は
以下の様に伝えられています。

如何なるか是れ聖諦第一義。
 (仏法の根本義はと何でしょうか?)
磨云く、廓然無聖。
 (カラリとして、聖なるものなど何もない。)
帝云く、朕に対する者は誰そ。
 (一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)
磨云く、不識。
 (そんな事は知らない。)

このほか、武帝が即位して以来
寺を造立したり写経したり
僧を得度させること
記録としてこれ以上の者がないほどであったが
一体どれほど多くのの功徳があるだろうか?と
たずねた武帝に対し、「無功徳(功徳など無い)」
と答えたともされます。
この問答は、「達磨廓然の話」として
有名でありますが
経論の文字にとらわれず
自己の本来の面目に徹することを目指す
達磨大師の禅思想をよく示しております。
そして、達磨大師は10月5日に
論敵の毒殺によって
亡くなられたと言われています。
達磨忌は、達磨大師の命日にあたり
報恩の法要を営み、ご遺徳をしのぶ日です。
つまり、達磨大師さまが
第27祖の般若多羅尊者より
正法を受け継がれ
強い誓願をもって
中国に来られたことを讃歎しつつ
我々も達磨大師の示された正しい教えを
益々広めることを誓う意味で
曹洞宗のお寺では
この達磨大師のご命日をお迎えして
報恩の法要を営むのです。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:07 │住職日記
2014年10月01日
先日、熊本まで新幹線を
利用させていただいたら
今年で、開通50周年と
盛り上がっていました





その、開通日が
今から50年前の今日
「10月1日」
50年の月日をかけて
東京~名古屋間は
当時より1時間の短縮
と、今日の朝刊に記されています。
驚いたのは、技術以上に
50年間、事故死のない事
関係している方々の
安全と努力に、敬意を表します。
さて、初めて新幹線に乗車したのは
中学時代の修学旅行の時
体育館にパイプ椅子を並べて
乗車の練習をしたのも
今では、懐かしい思い出
次は、大本山永平寺東京別院に
修行として、上山したとき
当時、食堂車があり
師匠(父)と涙をながしながら
食事した、思い出があります。
最近では、忘れもしない東日本大震災の時
三島あたりで、3時間程、閉じ込められ
天災の恐怖を実感した事
わずか、1時間35分といえども
人それぞれ、さまざまな
思い出があるのが新幹線
これから、人それぞれ
どんな、ドラマが生まれるのでしょう・・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 19:06 │住職日記
2014年09月24日



少しづつ、涼しくなりましたね。



寺の彼岸花も満開です。


ある会社員が、朝早く起きて
健康の為、ジョギングをした。
ところが、途中で
通勤用の車の燃料が
ない事に気付き
自宅に戻り、近くのスタンドまで
給油にでかけた。
途中で、飼い犬に
えさをやっていない
ことを思い出して、
帰ってから、えさをやった。
すると、畑に植えた秋なすが
できているのを発見した。
これは、早いうちに
収穫しなくてはいけないと思い
ナスの収穫はじめた。
しかし、
途中で今日までに
提出する仕事を
忘れていた事を
思い出して
部屋のパソコンで
仕事をはじめた。
ところが、その横で我が子の
様子が変である。
どうも病気にかかったらしい。
とりあえず、病院に連れていき
診察をしてもらい
自宅にたどり着いた頃には
日がトップリと暮れていた。
やれやれ何とせわしい一日で
あったと思いながら
かんじんな会社に
いけなかったに気が付いたのは、
床に入ってからだった。
何とも慌しくおっちょこちょいな
会社員のお話ですが、
ついつい目の前のことに追われて
日々を過ごしてしまう
今の私たちの生活にも
良くあてはまるような気がして
何とも身につまされます。
お釈迦さまは、
「いつも雑踏の中に身を置いていたのでは
正しい考えや判断・決断はできない
静かな所にひとり、身を落ちつけてみなさい
心が落ち着き、正しい判断が生まれる」
と教えておられます。




まもなく、お彼岸も明けます。
まだ、お墓参りにも
いってない人は、いませんか?
今日、あるのは、親やご先祖様のおかげ
一番大切な事とは?
何であるか、彼岸の時節に
考え直しましょう
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 13:28 │住職日記