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2014年10月04日
10月5日は
達磨大師のお命日
「七転び八起き」のことわざや
「ダルマさん」の愛称で
知られている達磨大師は
初めてインドから中国に
禅の教えを伝えられた方で
禅宗の初祖と言われています。
「震旦(中国のこと)初祖」または
「円覚大師」ともお呼びし
瑞雲寺の本堂にも向かって
西側にまつられています。

七転び八起き


赤い縁起達磨(ダルマさん)は
達磨大師が寒さよけに頭から「被」と
呼ばれた掛け布団をかぶって坐禅している姿が
もとになっているとされます。
達磨大師は、中国北魏・梁代頃に
インドから来た渡来僧と伝えられ
お釈迦様から数えて28代目のお祖師さま
中国禅宗の初祖とされるお方で
円覚大師菩提達磨大和尚と称します。
「碧眼の胡僧(青い目の異国の僧)」とも
表現されますが
伝記に関しては諸説ございます。
禅宗の伝統的な見解では
梁の普通8年(527年)に南海より
広州(広東省)に上陸し
梁の都、建康(南京)に来て
武帝(蕭衍)と問答を交わし
帝との機縁がかなわず北に渡り
崇山少林寺に入って
面壁九年(九年間、壁に面して坐禅すること)
されたことから、「壁観婆羅門」と称されました。
なお、梁の武帝と達磨大師との間で
交わされたとされる問答は
以下の様に伝えられています。

如何なるか是れ聖諦第一義。
 (仏法の根本義はと何でしょうか?)
磨云く、廓然無聖。
 (カラリとして、聖なるものなど何もない。)
帝云く、朕に対する者は誰そ。
 (一体、私の前にいるあなたは誰なのでしょうか?)
磨云く、不識。
 (そんな事は知らない。)

このほか、武帝が即位して以来
寺を造立したり写経したり
僧を得度させること
記録としてこれ以上の者がないほどであったが
一体どれほど多くのの功徳があるだろうか?と
たずねた武帝に対し、「無功徳(功徳など無い)」
と答えたともされます。
この問答は、「達磨廓然の話」として
有名でありますが
経論の文字にとらわれず
自己の本来の面目に徹することを目指す
達磨大師の禅思想をよく示しております。
そして、達磨大師は10月5日に
論敵の毒殺によって
亡くなられたと言われています。
達磨忌は、達磨大師の命日にあたり
報恩の法要を営み、ご遺徳をしのぶ日です。
つまり、達磨大師さまが
第27祖の般若多羅尊者より
正法を受け継がれ
強い誓願をもって
中国に来られたことを讃歎しつつ
我々も達磨大師の示された正しい教えを
益々広めることを誓う意味で
曹洞宗のお寺では
この達磨大師のご命日をお迎えして
報恩の法要を営むのです。


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:07 │住職日記

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