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住職日記

2018年09月26日
掬水月在手
(みずをすくえばつきはてにあり)

掬いとった掌の
わずかな水の面に
月が美しく
照り輝いている様子







酷暑であった夏も終わり
季節も少しずつ
秋となり
落ち着いた季節になり
こんな事にも気づく
好時節になりましたね
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:10 │住職日記
2018年06月14日







一切衆生(いっさいしゅじょう)
悉有仏性(しつうぶっしょう)

生きとし生けるものはすべて
生まれながらにして仏となりうる
素質をもつということ。






現在
境内地にある蓮池には
役員さまの管理によって
蓮の花が
きれいな花を咲きはじめています
沼地の泥の中に咲くにもかかわらず
可憐であることなどから、
清廉さの象徴的な
植物でもあります
花言葉は
清らかな心
こんなきれいな心の花を
咲かせてみては・・


  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:22 │住職日記
2018年04月03日




4月1日
年中行事であります
お寺をお守りいただいている
鎮守様の大祭を
おこないました



  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:51 │住職日記
2018年01月20日



昨年、上野動物園で生まれた
パンダのシャンシャン
生後50日のころは
白と黒毛色だったシャンシャン。
しかし生後60日を過ぎた辺りから
徐々に白い部分に色がつき始め
生後80日を迎えるころには
全体的に赤みを帯びるようになった
比べると一目瞭然。
その理由は
「お母さんが赤ちゃんをなめてケアをする為
それによって赤く(ピンク色)なるらしい」
なんと、専門家によると
お母さんパンダがなめたことで
赤くなった可能性があるらしい。
母さんパンダは、
赤ちゃんの排泄を促したり
清潔さを保つために
1日に何度も何度も体をなめ
その唾液の色が付着して赤く見え
この行為は生後1年ほど
続く可能性があるという。
お母さんになめてもらうシャンシャン
赤ちゃんパンダの赤い色は
母の深い愛情の証だったのだ。
実に感動的なお話。

しかし、私たち人間は
我が子を
なめるまでの愛情を
与えているのであろうか?
人間社会にとって
愛情の証とはなんだろうか?
少しはお母さんパンダを
見本にしなくては‥。
禅語の中に慈愛とあるが
親が子供をいつくしみ、
かわいがらないようでは・・
この世の宝はどうなるのだろうか・・。

あらためて
家族について
考えてみたいもの・・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 19:55 │住職日記
2017年11月22日
二十四節気のひとつ
小雪(しょうせつ)
11月22日から12月6日頃を指し
雨から雪に変わる頃であり
北国では
雪がちらほら降る頃
今年は
例年より
雪のたよりが
早いかも・・・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 19:45 │住職日記
2017年10月26日
『清風萬里秋』
(せいふうばんりのあき)





富士山では
先月23日に
初冠雪が観測。
平年より23日遅く
観測開始以来
最も遅かった去年と
比べて3日早かったとか
最近、朝晩が寒い程ですが
今日は、久しぶりに
よい天気となり
すがすがしいものです

この禅語は
秋がいたるところに訪れて、
すがすがしい風が
吹きわたっているようす。
それはあたかも、
悟りを開いた瞬間。
澄み切った秋空のように
目の前が開けることの意味








  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:36 │住職日記
2017年09月28日
風光日々新(ふうこうひびあらた)

本日、北海道 
大雪山では
初冠雪だとか・・・
台風の被害もあれば
初雪の処もあり
「風光日々新」とは
大自然の風景は、
日々に新たな変化が
あるという意味

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 17:54 │住職日記
2017年09月01日
.今日より9月(長月)
秋の虫も泣き
朝晩、少しずつ
すごしやすくなったような・・・

この句は
澄み切った空に
皎々こうこうと
一輪の月が白く輝き
どこからともなく
一陣の清風が吹き渡って
木々の葉を鳴らします
くさむらからは虫の鳴き声
秋だなあと感じる
この清涼極まりない風景を
「月白く風清し」と
簡単明瞭に頌したわけです
しかし、ただ単に自然の美しさを
表現しただけではなく
この句の中に人としての
生き方を見なければなりません
私たちは何かというと、
世のさまざまな欲にとらわれ、
自分自身にもとらわれてしまいます
これらの執着を一切断ち切って
その清々しさを
「月白く風清し・・」と頌したのです。
月の光がそのまま
静かな池に
そのまま映しだすかのように・・
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:54 │住職日記
2017年08月16日
精霊送り 
八月十五日厳修












たくさんの方に
見守れてお帰りになりました







ただいま修行中⁉








無事にお帰りになりますように








  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:25 │住職日記
2017年06月09日
雨収山岳青  
あめおさまりてさんがくあおし






季節は梅雨に入り
降りしきる雨
あるはずの景色や
物も観えないが
一旦雨があがると
前方に夏の山が
いつもの通り
青くくっきりと現れてくる
蒼々たる緑樹は
輝かんばかりである。
雨や曇、水や雨だれ
雪や雷などなどの自然現象も、
山や海、川や滝などの自然は
煩悩に例えられたり
逆に仏性に例えられたりする。
森羅万象は
それを受け取る側の心次第。



  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 21:58 │住職日記
2017年06月05日
今日は
二十四節気である芒種
芒種とは
6月6日頃(2017年は6月5日)
および夏至までの期間。
太陽黄径75度。
小満から数えて15日目頃。
芒(のぎ)のある穀物や
稲や麦など穂の出る
穀物の種をまく季節
ということから、
芒種と言われています
(実際の種まきは、
これよりも早い時季に行います)。
梅の実が青から黄色に変わり
百舌が鳴き始めます。
かまきりや蛍が
現れ始める頃でもあります。
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 22:17 │住職日記
2017年04月14日

【 弄花香満衣 】

(花を弄すれば香衣に満つ)
「はなをろうずれば かおりころもにみつ」






待ち望んでいた春になり
今、春真っ盛り
境内地には梅の花がさき
今、桜の花が満開です
この句は
花を摘んでいると、
自分の衣もその香りに包まれ
こころまで花と一体となって、
清々しい境涯に至る。
明るい春の陽ざしの中で
香しい甘い香りを
心から愛おしむような句ですね・・・






寒さにじっと耐えていた
冬がやっと終わり雪が解け
小川のせせらぎが聞こえる中で
摘む花の初々しさと香しさ
それを想像するほんわかした
思いに誘いますね・

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:52 │住職日記
2016年12月31日






初春を迎え
皆々様のご多幸を
お祈り申しあげます
只今、お年頭に出かけております
              
               住職謹白
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:28 │住職日記
2016年12月08日
紅爐一点雪 (こうろいってんのゆき)


12月7日は
24節気のひとつ
「大雪」
そこで、この禅語を紹介!

紅爐一点雪 
 〔こうろいってんのゆき〕

煩悩妄念を断滅した
坐禅三昧の正念のある処
ここにはどんな
邪念も寄せつけない
迷妄、邪悪は
恰も紅蓮の炎をあげて
赤々と燃え盛る炉の上に
一片の雪花が舞い落ち
一瞬のうちに溶けて
跡形もなく消えて
しまうかのようだ

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:50 │住職日記
2016年11月08日
清風萬里秋 (せいふうばんりのあき)


世の無常を感じつつ、
今年も落ち葉を
掃く毎日
無心に散った一葉に、
自分を燃やし
盡くしたものの
姿の美しさを感じる毎日
心の自由を取り戻した
身心脱落の人にこそ
一葉のそよぎに真の
清凉の世界を体感する
  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:16 │住職日記
2016年09月15日
「仏道をならふというふは、自己をならふなり」

この言葉は、
道元禅師の言葉の中で
最もよく知られている言葉の一つです。
「仏道をならう」ことは
「自己を究明する」こと。
ここでいう「自己」は本来の自分自身です。
そのためには、「自己を忘れれ」ばいい。
ここの「自己」は、自意識的自我です。
「自己を忘れる」ためには
「万法に証せられれ」ばいい。
「万法に証せられる」ためには
「自己の身心及び他己の身心を脱落させればいい」
ということになります。
と、言っても少し難しい言葉かも知れませんね・・・




さて、19日より彼岸のいりです
例えば
最愛の妻,親友といった
大切な人の気持ちになり
相手が自分の気持ちになる
それが彼岸ということではないだろうか・・・
 「何事でも、かたくなに
 自分の立場に固執することなく、
 ぐるりと廻って反対側の立場に立ってみる」
こちら側から見て腹の立つ事柄でも
ぐるりと廻って相手の立場に立ってみれば
なるほどそうだったのかと
笑って受けとれることも沢山ある
対人関係の感情問題など
全てそうだといっても
過言ではない。
仏教ではこの世の中を
娑婆(思いどおりにならないところ)
というように
悲しみや苦しさが人生の
実相(すがた)といっていいが
それとても同じことで
自分の側からばかりみて
それに間違いないと思い込んでしまうから
やりきれない絶望に陥るわけで
それをひっくり返して考えれば
そのやりきれなさがそっくりそのまま
あかるい楽しさに変ずることもある。

さて、みなさんは
彼岸に何を修行されますか・・?

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:09 │住職日記
2016年08月26日





大切なご先祖さま
あの世に
迷わず、お帰り下さいませ









毎年
精霊送りの時
少し寂しくなるような・・・・
気が致します
それは
私だけかな・・・?

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:34 │住職日記
2016年08月26日
山門大施食会
8月4日に修行いたしました





今日は
お小僧さんも
お手伝いです







  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:25 │住職日記
2016年07月23日
境内地にあります
極楽園 (蓮池)には
役員様の懸命なる
管理の中で
今年も,
蓮が咲きました






蓮の花言葉は
「清らかな心」と「休養」であり
「清らかな心」とは泥水を吸い上げながらも
美しい花を咲かせることに由来します。
「休養」とは、午前中に咲いた花が
午後には閉じてしまう様子を表したものです。






ヒンドゥー教の神話や聖典には
泥の中から茎を伸ばして
花を咲かせる蓮の様子が
清らかに生きることの象徴として
たびたび登場します。このイメージは
仏教にも継承されていきます。
仏教では
智清や慈悲の象徴とされ
死後の極楽浄土に
咲く花として親しまれました
そのため、如来像の台座や
仏像を安置する厨子という
仏具の扉に花が彫られています。
このような宗教的背景から
インド、スリランカ、ベトナムでは
国花とされ、今でも多くの人に愛されています。

  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:55 │住職日記
2016年07月16日
7月15日 午後8時より
精霊送り(送り火)
行いました







来月は
8月15日 午後8時より




  


Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:22 │住職日記