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2016年09月15日
「仏道をならふというふは、自己をならふなり」

この言葉は、
道元禅師の言葉の中で
最もよく知られている言葉の一つです。
「仏道をならう」ことは
「自己を究明する」こと。
ここでいう「自己」は本来の自分自身です。
そのためには、「自己を忘れれ」ばいい。
ここの「自己」は、自意識的自我です。
「自己を忘れる」ためには
「万法に証せられれ」ばいい。
「万法に証せられる」ためには
「自己の身心及び他己の身心を脱落させればいい」
ということになります。
と、言っても少し難しい言葉かも知れませんね・・・

彼岸の入り


さて、19日より彼岸のいりです
例えば
最愛の妻,親友といった
大切な人の気持ちになり
相手が自分の気持ちになる
それが彼岸ということではないだろうか・・・
 「何事でも、かたくなに
 自分の立場に固執することなく、
 ぐるりと廻って反対側の立場に立ってみる」
こちら側から見て腹の立つ事柄でも
ぐるりと廻って相手の立場に立ってみれば
なるほどそうだったのかと
笑って受けとれることも沢山ある
対人関係の感情問題など
全てそうだといっても
過言ではない。
仏教ではこの世の中を
娑婆(思いどおりにならないところ)
というように
悲しみや苦しさが人生の
実相(すがた)といっていいが
それとても同じことで
自分の側からばかりみて
それに間違いないと思い込んでしまうから
やりきれない絶望に陥るわけで
それをひっくり返して考えれば
そのやりきれなさがそっくりそのまま
あかるい楽しさに変ずることもある。

さて、みなさんは
彼岸に何を修行されますか・・?



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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:09 │住職日記

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