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2016年07月23日
境内地にあります
極楽園 (蓮池)には
役員様の懸命なる
管理の中で
今年も,
蓮が咲きました






蓮の花言葉は
「清らかな心」と「休養」であり
「清らかな心」とは泥水を吸い上げながらも
美しい花を咲かせることに由来します。
「休養」とは、午前中に咲いた花が
午後には閉じてしまう様子を表したものです。






ヒンドゥー教の神話や聖典には
泥の中から茎を伸ばして
花を咲かせる蓮の様子が
清らかに生きることの象徴として
たびたび登場します。このイメージは
仏教にも継承されていきます。
仏教では
智清や慈悲の象徴とされ
死後の極楽浄土に
咲く花として親しまれました
そのため、如来像の台座や
仏像を安置する厨子という
仏具の扉に花が彫られています。
このような宗教的背景から
インド、スリランカ、ベトナムでは
国花とされ、今でも多くの人に愛されています。

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:55 │住職日記
2016年07月16日
7月15日 午後8時より
精霊送り(送り火)
行いました







来月は
8月15日 午後8時より




  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:22 │住職日記
2016年07月05日
7月1日~3日
夜施食会・子供坐禅会でした







たくさんの子供も
一生懸命、坐禅をおこないました。












  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 11:31 │住職日記
2016年06月08日
「日は昼を照らし 月は夜を照らす」







私達は、太陽の恵みから
派生する諸々の自然の
恵みを得ている
月も闇夜から解放して
人々に安らぎを
与え続けている
当たり前のことを
あたり前だと
安易に受け流すことなく
当たり前こそ
実はとんでもなく
ありがたいことだと
感謝しなければいけない
当たり前のことを
あたり前だとは安易に
受け流すことなく
当たり前こそ実はとんでもなく
ありがたいことだと思える
そんな思いが出来
感謝できるときこそ







「日は昼を照らし、月は夜を照らす」の
精神が真にわかるのかもしれない。
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 13:56 │住職日記
2016年05月02日
今まさに、境内地には
つつじが咲き誇っています。




あるとき
園児が一人、
枯れかかった花を持って
「花さん、どうもありがとう」と言って
ポイと捨てました
その行為に、
その子を呼びとめて尋ねてみました
「いつもそうしてるの?」
するとその子は、
「そうよ、お母さんはいつも、
そうしてるのよ
だって花はきれいに咲いて
みんなを嬉しくさせてくれたんだもの
だからお礼を言って捨てるの」
こう言ったのです




生きとし生きるもの
全てに感謝する事を
忘れてはいけないものですね・・・


  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:39 │住職日記
2016年04月26日
今年の『弘法さま』のお命日は
4月27日 (3月21日) 旧暦






この日は、子供はお参りに行くと
お菓子がいただける
なんで?
このいわれは
弘法大師空海は海を越え、
唐へと渡り、順宗帝に招かれました。
その時、
亀甲形をした、“あるお菓子”
が出されたそうです
見たことも無く食したことも無い
その菓子は
パリパリと触感も良く
とても美味しかったようです
空海は、
丁寧逐一そのお菓子の
製法を教えてもらい
ふるさとへ帰国後
山城国に住む
“小倉の里の和三郎”という人物に伝え
未知の菓子の製法を伝授された和三郎は、
葛根(カッコン)と米粉に、
果実の糖液を混ぜて焼き
苦心の末、完成
苦労の甲斐あって、
この菓子は上流階級・朝廷貴族の間で広まり
ただ、その頃は庶民にはとても
手が届かない高級菓子でした
しかし、これは日本の
「煎餅」のルーツとされています。
弘法大師(空海)の
生きていた時代は飢饉が多く
そこで弘法大師が
『自分一人ではなく
貧しい人にも分け与えよう。』と
説いて回ったことが由来
とされている、ようです。
ただお菓子をいただける1日!
そうではなく・・・
“お互いさま”の精神でしょうね
それを子供が覚える
一つのきっかけになるとより良いですね
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:55 │住職日記
2016年04月09日




当山に保管されていた古文書によれば
およそ五百五十年程前の昔
この地に「はやり病」が起こり
人々は苦しみ
村人達は死に恐れ困窮の最中
旅の修行僧あり
村人達は
この地に留まり寺を建立し
この病気を鎮めてくれるよう懇願した。
旅の僧は、村人の心を
察し哀れみ願いを聞きいれた。
寺の建立する場所を
思案しているとき
今は「白龍池」と呼ばれる
池より白い龍が天に昇り
「ここに寺を建てよ」と示した。
池の辺に寺を建て、鎮守様を祀り
こぞって祈願したところ
村人を救ったと記録にあり。
寺の名称を「後田山・白龍寺」と称したが
後に「白龍山・瑞雲寺」と改名した。
今も、この「白龍池」には絶えることなく
水が湧き出て池を潤している
水飢餓と云われる年ですら
人々の水の難儀を救ってきた。




「白龍池」の御神体は
白龍弁財天をお祀りし
現在では寺の山門繁栄
人々の無病息災・家内安全・交通安全
並びに学術芸術の神
福徳円満にして美人の神として信仰されている。
当山の年中行事として
鎮守様大祭として行っている。
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:40 │住職日記
2016年04月08日





今から三千年ほど前の四月八日、
お釈迦(しゃか)さまは
カピラ国の浄飯王(じょうぼんのう)と
摩耶夫人(まやふじん)との間に
ゴータマ・シッダルタ王子として
お生まれになりました。
そして「釈迦族」という族姓から
後に「釈迦牟尼世尊(しゃかむにせそん)」
と呼ばれるようになるのです。
 お釈迦さまは、
色とりどりの花が咲きほこる
「ルンビニーの園」で
お生まれになってすぐに
七歩東へ歩まれると
右手を上に、左手を下に向けて
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)」とおっしゃいました。
このお言葉は
「天の上にも天の下にも、私ひとりこそが尊い」という意味であると同時に
人間は生まれや育ちにかかわらず
みな平等に尊い存在だということも意味します。
逆にいうと、その人の幸せや不幸は決して
環境などから与えられるものではなく
すべて個々の心が作り出すものだという
ことも示されているのです。
またお釈迦さまがお生まれになった時
天からは甘露(かんろ)の雨と
たくさんの花が降りそそいだと伝えられています。
この時のお姿を形どった
像の上から甘茶(あまちゃ)をそそぐのも
この行事が「花まつり」と呼ばれるように
なったのもそうした由来があるからです。

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:40 │住職日記
2016年03月02日




花閑鳥自啼 
「はな静かに鳥おのずから啼く」
 
満開の花は
ひっそりとしている
鳥の鳴き声も却って
その静けさを
際だたせるようだ 
華やぎの中の静寂
そして調和が取れた
世界の意味






当山十七世であられた
恵定大和尚の
植えられた梅
幼少の頃は
境内地いっぱいに
柿と梅とあったものも
今となっては
僅かとなりましたが
例年、美しく花を咲かせ
春を知らせてくれます
その梅の枝に、鳥の姿をみると
幸せを感じる
しかし、世の中は
本当に、静寂であり
人々は幸せなのか?
改めて感じる・・



  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:58 │住職日記
2016年02月06日
二十四節気である
立春を迎えたとはいえ
まだまだ、寒さが続く中
暖かな春の到来を待ちわびる毎日






この時期、境内には
厳しい寒さにも関わらず
桜や梅など様々な
草木のつぼみが目にとまります。
美しい花を咲かせるため、
耐え忍ぶその姿に心強くされます
梅は、どの花よりいち早く
花を咲かせようとします。
梅は桜のような華やかさはありませんが、
心、引き締まる思いにさせてくれます
曹洞宗ご開山であられる、道元禅師は
「梅の開くのにつられて春も早くやってくる。
春の功徳は全て梅のなかに詰まっている」と記されています。
春が来て梅が咲いたのではなく
梅が咲くから春が来ると云っているのです。
花のつぼみは、目一杯の命を充満させ
開花し春をもたらします。
人も、花のように功徳を咲かせたいですね・・・
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 13:16 │住職日記