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2017年06月05日
今日は
二十四節気である芒種
芒種とは
6月6日頃(2017年は6月5日)
および夏至までの期間。
太陽黄径75度。
小満から数えて15日目頃。
芒(のぎ)のある穀物や
稲や麦など穂の出る
穀物の種をまく季節
ということから、
芒種と言われています
(実際の種まきは、
これよりも早い時季に行います)。
梅の実が青から黄色に変わり
百舌が鳴き始めます。
かまきりや蛍が
現れ始める頃でもあります。
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 22:17 │住職日記
2017年04月14日

【 弄花香満衣 】

(花を弄すれば香衣に満つ)
「はなをろうずれば かおりころもにみつ」






待ち望んでいた春になり
今、春真っ盛り
境内地には梅の花がさき
今、桜の花が満開です
この句は
花を摘んでいると、
自分の衣もその香りに包まれ
こころまで花と一体となって、
清々しい境涯に至る。
明るい春の陽ざしの中で
香しい甘い香りを
心から愛おしむような句ですね・・・






寒さにじっと耐えていた
冬がやっと終わり雪が解け
小川のせせらぎが聞こえる中で
摘む花の初々しさと香しさ
それを想像するほんわかした
思いに誘いますね・

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:52 │住職日記
2017年01月01日
当寺では
一年間を通して以下の行事を行なっています。
どなたでも見学いただけます。

※写真を押すと拡大出来ます。

1月7日 9:30~
大般若祈祷会



2月15日
釈尊涅槃会



3月5日 第1日曜日 10:00~
檀徒総会



4月2日 第1日曜日 10:00~
鎮守様大祭 釈尊降誕会(花まつり)



7月1日~7月3日まで 毎夜20:00~
夜施食会供養(ヨセガキ) 子供坐禅会



7月15日 20:00~
精霊送り(七月盆)



8月4日 9:00~
大施食会(セガキ)
leftleft

8月15日 20:00~
精霊送り(八月盆)



12月31日 23:45頃~
除夜の鐘


  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:00 │行事案内
2016年12月31日






初春を迎え
皆々様のご多幸を
お祈り申しあげます
只今、お年頭に出かけております
              
               住職謹白
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:28 │住職日記
2016年12月08日
紅爐一点雪 (こうろいってんのゆき)


12月7日は
24節気のひとつ
「大雪」
そこで、この禅語を紹介!

紅爐一点雪 
 〔こうろいってんのゆき〕

煩悩妄念を断滅した
坐禅三昧の正念のある処
ここにはどんな
邪念も寄せつけない
迷妄、邪悪は
恰も紅蓮の炎をあげて
赤々と燃え盛る炉の上に
一片の雪花が舞い落ち
一瞬のうちに溶けて
跡形もなく消えて
しまうかのようだ

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 15:50 │住職日記
2016年11月08日
清風萬里秋 (せいふうばんりのあき)


世の無常を感じつつ、
今年も落ち葉を
掃く毎日
無心に散った一葉に、
自分を燃やし
盡くしたものの
姿の美しさを感じる毎日
心の自由を取り戻した
身心脱落の人にこそ
一葉のそよぎに真の
清凉の世界を体感する
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 06:16 │住職日記
2016年09月15日
「仏道をならふというふは、自己をならふなり」

この言葉は、
道元禅師の言葉の中で
最もよく知られている言葉の一つです。
「仏道をならう」ことは
「自己を究明する」こと。
ここでいう「自己」は本来の自分自身です。
そのためには、「自己を忘れれ」ばいい。
ここの「自己」は、自意識的自我です。
「自己を忘れる」ためには
「万法に証せられれ」ばいい。
「万法に証せられる」ためには
「自己の身心及び他己の身心を脱落させればいい」
ということになります。
と、言っても少し難しい言葉かも知れませんね・・・




さて、19日より彼岸のいりです
例えば
最愛の妻,親友といった
大切な人の気持ちになり
相手が自分の気持ちになる
それが彼岸ということではないだろうか・・・
 「何事でも、かたくなに
 自分の立場に固執することなく、
 ぐるりと廻って反対側の立場に立ってみる」
こちら側から見て腹の立つ事柄でも
ぐるりと廻って相手の立場に立ってみれば
なるほどそうだったのかと
笑って受けとれることも沢山ある
対人関係の感情問題など
全てそうだといっても
過言ではない。
仏教ではこの世の中を
娑婆(思いどおりにならないところ)
というように
悲しみや苦しさが人生の
実相(すがた)といっていいが
それとても同じことで
自分の側からばかりみて
それに間違いないと思い込んでしまうから
やりきれない絶望に陥るわけで
それをひっくり返して考えれば
そのやりきれなさがそっくりそのまま
あかるい楽しさに変ずることもある。

さて、みなさんは
彼岸に何を修行されますか・・?

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:09 │住職日記
2016年08月26日





大切なご先祖さま
あの世に
迷わず、お帰り下さいませ









毎年
精霊送りの時
少し寂しくなるような・・・・
気が致します
それは
私だけかな・・・?

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:34 │住職日記
2016年08月26日
山門大施食会
8月4日に修行いたしました





今日は
お小僧さんも
お手伝いです







  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 20:25 │住職日記
2016年07月23日
境内地にあります
極楽園 (蓮池)には
役員様の懸命なる
管理の中で
今年も,
蓮が咲きました






蓮の花言葉は
「清らかな心」と「休養」であり
「清らかな心」とは泥水を吸い上げながらも
美しい花を咲かせることに由来します。
「休養」とは、午前中に咲いた花が
午後には閉じてしまう様子を表したものです。






ヒンドゥー教の神話や聖典には
泥の中から茎を伸ばして
花を咲かせる蓮の様子が
清らかに生きることの象徴として
たびたび登場します。このイメージは
仏教にも継承されていきます。
仏教では
智清や慈悲の象徴とされ
死後の極楽浄土に
咲く花として親しまれました
そのため、如来像の台座や
仏像を安置する厨子という
仏具の扉に花が彫られています。
このような宗教的背景から
インド、スリランカ、ベトナムでは
国花とされ、今でも多くの人に愛されています。

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 16:55 │住職日記