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2021年09月26日
昨夜一声雁 清風万里秋

さくやいっせいのかり
せいふうばんりのあき


昨夜、空を見上げると、
雁の一群が
鳴きながら渡って行った。
暑い、暑いと思っていた季節も
秋彼岸も明け
清々しい風が吹き渡り
暑さの中にも
秋の気配のする情景です。
酷暑の夏も終わり
もう秋ですね~
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:13 │住職日記
2021年07月23日
皆様におかれましては
未曾有の災禍の中
大変なご苦労を
されておられる
ことと案じております。
1日も早い
新型コロナウィルス感染症の
終息をお祈り申し上げます。

さて
当山、蓮華極楽園では
只今、蓮の花の
見頃を迎えています。




早朝のご鑑賞を
おすすめいたします。





この世の
極楽?






蓮華極楽園は
保存会の皆様によって
守られています
常に開放し
無料にて鑑賞できます
駐車場も充分ありますので
気楽においで下さいませ
















  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:36 │住職日記
2021年06月05日

安心できる場所?

鬼神に守られ




弘法さまに守られ







幸せ?そうですな、、
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 18:23 │住職日記
2021年05月14日
人皆苦炎熱
 (ひとはみな えんねつに くるしめども)
我愛夏日長
 (われは かじつのながきを あいす)
薫風自南来
 (くんぷう みなみより きたりて)
殿閣生微涼
 (でんかくは びりょうを しょうず)
前半2句は
唐の文宗皇帝が詠み、起承の二句
後半は
詩人の柳公権が付け足して
転句としてつけた二句の一節であり
意味としては
春から初夏ともなれば
南の方からほのかな
春の香りをふくむ
風が吹き来たり
部屋の隅々まで
涼やかな雰囲気に
包まれてしまう
   という意味
薫風の清涼さは
単なる感覚的清涼さではなく
精神的な清涼さとして、
是非、善悪・利害、得失などの
相対的な考え
思想にとらわれない
さばさばとした境涯であり
一切の煩悩の垢の抜けきった
無心の境地を表す語である




境内地には
まさに梅の実が
実っています
心爽やかな初夏を
感じてみては?


さて
皆様におかれましては
未曾有の災禍の中
大変なご苦労をされて
おられることと
案じております。
一日も早い
新型コロナウィルス感染症の
終息をお祈り申し上げます                     
      
              合掌


  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 08:20 │住職日記
2021年02月20日
梅花莟有香
ばいかつぼみかおりあり



境内地に
梅の花が咲き始め
ふくらみつつある
梅の香りが周囲に
芳香をただよい始めています
その香りは
草木や生物を目覚めさせ
私たちに春を運んでくれる
厳しい冬を乗り越えてこそ
その芳香にめぐりあえた喜びがある。
このことは
厳しい長い修業の末に
悟りを得ることに
しばしばたとえられる
厳冬のような修業を
乗り越えてこそ
梅の芳香のような
すばらしい悟りは
得られないと
うたわれている
  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 14:26 │住職日記
2021年02月08日
2月15日は
「涅槃会」ねはんえ
お釈迦様が
お亡くなりになった日
「涅槃会」といいます。
お悟りを開かれたお釈迦さまは
その後、
45年にもわたり
人びとに教えを説く
旅を続けられました。
その間、多くの人びとが
お釈迦さまの教えに導かれ
お弟子や信者となっていきました。
その伝道の旅の
最期の地となったのは
クシナガラという所でした。
いよいよ自分の死が近いことを察した
お釈迦さまは
弟子たちにこう説かれました。
「私の亡きあとは、私ではなく
自分自身をより所として、
また私が伝えた教えを
闇を照らすともしびとして
歩んでゆきなさい」
お釈迦さまは個人崇拝の
対象となることを否定され
弟子一人ひとりが確かに
自立して進むことを求めたのでした。
そして
「もろもろの存在は変わりゆく。
怠らず精進しなさい。」という
最期の言葉を残し
静かに息をひきとったのでした。
お釈迦さまのご命日である
涅槃会の日には
瑞雲寺ではお釈迦さまの
最期の様子を描いた
「涅槃図」をかけて
そのご遺徳をしのびます。

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 08:41 │住職日記
2021年01月21日




節分は「立春」の
前日にあたりますが
立春は暦の上で
春が始まる季節のこと。
つまり、
節分は冬の終わりの日で
翌日から新しい季節が
始まる区切りの
日となるわけです。
そのため、邪気や
悪いものを落として
新しい年に幸運を
呼び込むことを目的とし
豆をまいて厄を払い
病気などの厄災を追い払い
みんなが健康で幸せに
過ごせるように願って
悪いものを追い出す日
その習慣が
現代でも続いています。

  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 19:06 │住職日記
2021年01月01日
新年あけまして
おめでとうございます  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 07:31 │住職日記
2020年12月23日






本年の除夜の鐘は
予定通り
12月31日(大晦日)
午後11時45分より
行います

コロナ禍の為
おしるこのお接待は
中止させていただきます。

除夜の鐘には
厳しい修行を積んでいない
我々において
心の乱れや汚れを祓う力が
あるという信仰が
現在まで伝わり
除夜の鐘の儀式となって続いています。
だから、普通の日ではなく、
除夜、つまり大晦日に
鐘を打つとされています。









  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 12:18 │住職日記
2020年12月15日
本日、得度式を修行しました

得度」とは
正式な作法を通して、
僧侶に相応しい姿
となることによって
仏のみ教えを信じ、
仏の徳を身に具えることを
意味します。
「得度」を受ける方を
「発心の人」と呼びます。
これは、「仏道への志」を
発した人の呼称であり
念願叶って得度される方の
気持ちを汲んだ表現です。






「得度式」とは
師匠(受業師・じゅごうし)によって
髪を剃り落としていただき、
衣(ころも)、袈裟(けさ)、坐具、
応量器(食器、鉢盂・ほう)などの、
僧侶が僧侶として
生きていくために必要な
最低限のものをいただきます。






そして、更にお釈迦さま以来、
歴代の祖師たちが
ひとえに伝えてきた
「戒法」と「血脈」とを受けて
正式に僧侶の
仲間入りをするのです。





曹洞宗では特に
道元禅師や瑩山禅師が
撰述された
『出家略作法』を重んじて
儀式を行っています。


         令和2年12月13日


  


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Posted by 白龍山 瑞雲寺 at 21:51 │住職日記